【第29回】みちびと紀行 ~中山道を往く(日本橋~神田明神) みちびと紀行 【第29回】
2021年2月20日、土曜日の8:30am、僕はまた、日本橋の上に立っている。
初心に帰る場所、旅心を呼び覚ます場所。
それが僕にとっての聖地、この日本橋だ。
今回の歩き旅の舞台は、中山道の「武州路」と決めた。
江戸と京都を結んだ大動脈の中山道は、6つの区間に分かれている。
武州路、上州路、信濃路、木曽路、美濃路、そして近江路。
このうち、今の東京・埼玉部分が武州路だ。
もう何度も歩いている道だけれど、歩くたびごとに発見があって、その期待を裏切らない。
定番中の定番、だから飽きない。ジーンズのようなものだ。
気楽に、肩の力を抜いて、けれど好奇心はフル回転で、きょろきょろと宝物探しをするように歩いて行こう。
バッタリと出会う偶然に身を任せたら、もう立派な「旅」のできあがり。
出発して、まず通り過ぎるのは日本橋三越本店。
五街道の起点であり終点でもあるこの日本橋のたもとに、松坂商人の三井家の呉服店「越後屋」が、でんと構えていたことは、意味深い。
日本全国の街道を旅して集めた情報、物産、人材が、三井家の繁栄の礎となり、今日に至るまで日本の経済を支え、アップデートしてきた。
旅は、商業を発展させる活動でもあったのだ。
いつもは、三越の玄関のライオン像を横目で見ながら通り過ぎるのだけれど、この日は違った。
春近い冬の、透き通るような青空を見あげようと顔を上げると、建物の上の方に何かがあるのを見つけてしまったのだ。
道の反対側に渡って確かめると、杖を持った金色に輝く少年の像がみえる。
それは、ギリシア神話のヘルメス、ローマ神話の商業神マーキュリーだった。
「なるほど。ヘルメスは旅人の神様でもあるからな。」
ひとり合点して視線を下に移すと、ショーウインドには、ファッション・ブランドの「HERMES」。
「一石二鳥」というべきか、「類は友を呼ぶ」というべきか。
神田駅が見えてきた。
このあたり、右にも左にも、横丁の路地奥に飲み屋の看板が並んでいる。
どことなく哀愁があって、夕暮れ時だったらふらりと寄ってみたくなる。
こういう路地裏の飲み屋というのは、もはや「大衆文化」だろう。
この灯を消してはなるまい。
コロナ禍で今はつらい時期だけれど、どうか持ちこたえて、待っていて欲しい。
神田駅をくぐると、お店のウインドウの中に何やら展示してあった。
へえ。これが金鉱石というものか。
金を扱うお店が、親切にその原石を展示してくれている。
「含有量の世界的な平均は、鉱石1トンあたり約3グラムといわれています」と説明書き。
よく見かけるような石だけれど、こんな石から黄金を取り出すのか。
大昔から、しかも世界中で、金に価値を見いだしたのはなぜだろう。
いや待てよ、そういえば日本神話で黄金は登場しないよな。
ギリシャ神話であれば、触るもの全てを黄金に変えてしまう王様の話はあるけれど。
などと、あれこれ思いながら歩いていく。
右方向、秋葉原に向かう中央通りと別れて、中山道はまっすぐ進み、旧万世橋駅に突き当たって左に折れる。
昌平橋を渡っていると、神田川をゴミ回収船が行き過ぎていく。
こうやって川を綺麗にしてくれているのか。
もし子どもだったら、船に向かって手を振ったことだろう。
そんな素直なあいさつを、悲しいかな、大人の僕が押しとどめた。
ああ、手を振っておけばよかったな。
坂道を登っていくと、神田明神の鳥居が見えてきた。
江戸の総鎮守だし、無視でもしたら、祭られている平将門に怒られそうだ。
なんてったって「三大怨霊」のひとつだし。
なんども来たけれど、まあ、お参りしていこう。
、、、と、行ってみてびっくり。神社全体があれこれ派手になっていた。
境内に大きなお土産ショップができているし、中国人向けだろうか、QRコードでお賽銭ができるようになっている。
何かのテーマパークに入ってしまったかのような違和感。
なんとなく落ち着かなくなってしまったので、咲き始めた梅の木でも見ようと境内をぶらぶらしていたら、消防団の方々がお参りに来ていた。
見ると、路地用のものだろうか、アンティークな朱塗りの大八車のような消防車が、「車祓所」の前に置かれていて、ちょうど神主さんのお祓いを終えたところだった。
「ご近所からいらっしゃっているんですか?」
消防団員のひとりの女性に声をかける。
「ええ、そうです。新しい消防車が納車される時は、必ずここでお祓いしてもらうんですよ。」
ちゃんと使い方も心得ているそうで、頼もしい。
団員の人たちが冗談を飛ばしながら和気あいあいとしていて、何やらその光景が春の訪れを感じさせた。
お祓いを終えた朱塗りの消防車は、あたかもお神輿のように、神田明神の景色にぴったりと納まっていた。
時刻は10:00am。さてと、そろそろ歩きだそうか。
神田明神の参道から中山道に出ると、ちょうど老舗の甘酒屋、天野屋さんが店を開けていた。
そういえば、ここには寄ったことがなかった。ちょっと入ってみるか。
ガラガラと引き戸を開けると、古道具屋のような世界が広がっていた。
ものがたくさんあって、一見落ち着かなさそうで、いざ座ってみると落ち着く。
懐かしいものにあふれた、祖父母の家に行ったような気分だ。
天野屋さんの創業は、幕末の弘化3年(1846年)で、この場所に糀室(こうじむろ)を今でも持っている。
千代田区の有形文化財に指定された糀室は、明治37年に建築されたもので、地下6メートル、天井はアーチ型、その一部が今でも、甘酒の糀の製造のために使われているらしい。
一番奥の席に座ると、60代と思しき気さくな女性が接客をしてくれた。
「前はもう、お客さんはひっきりなし。でも今はコロナでダメね。」
ああ、でもよくぞ僕を待っていてくれた。ありがとう!この店。
さあ飲むぞ飲むぞ!
運ばれた甘酒をすすると、優しい味。
すっきりとした甘さがやんわりと体を温めていく。
これが糀の力か。体にエネルギーがチャージされていくような気がする。
日本橋をスタートしてまだ2時間足らず。
寄り道ばかりだけれど、まあいいか。
今回は「お気楽歩き旅」といこう。
まだまだ大都会のふところの中。
中山道は537km 、ずっと先の京都まで続いている。