【第3回】みちびと紀行~北国街道を往く(小諸) みちびと紀行 【第3回】
「尊い命だからこそ、無残な死に様にさせたくない。」
この言葉を絞り出すまでに、どれほどの死と向き合ってきたのだろう。
東小諸の南城公園の脇にある、小諸市野生鳥獣商品化施設。
ここでは、多い時には一日に20頭のシカが持ち込まれ、主にペットフードに加工されている。
他の地域の例に漏れず、小諸市でも、野生鳥獣による耕作地や山林に対する被害は深刻だ。
シカやイノシシなどの駆除に当たる、頼みの綱の猟友会は、年々高齢化し会員数も減少している。
そんな中にあって、小諸市では、平成27年に「小諸市野生鳥獣対策実施隊」を結成し、行政職員と狩猟免許保持者や獣医師などの市民が協力して市内の鳥獣対策に当たる体制を整えた。
捕獲量が増えることで増加する駆除費用を補うため、駆除したシカをペットフードや皮革製品などに加工し商品化する施設を整備した。
この「小諸市野生鳥獣商品化事業」がスタートして4年が経ち、昨年は、この事業に対して、農林水産大臣賞が授与された。
ここには、3名の若者たち―2名の地域おこし協力隊員と、1名の会計年度任用職員―が働いている。
鈴木卓彦さん(30歳)、山本翔太さん(28歳)、佐藤ひとみさん(33歳)だ。
彼らは、どのような経緯でこの地にやってきて、どういう思いで暮らし、この仕事に携わっているのだろうか。
彼らから話を聞くことで、僕はより一層この土地について理解できるようになるだろう。
鈴木卓彦さん~「ここに確かな足跡を残せるように、チャレンジし続けたい!」
「僕は東京の墨田区出身で、大学は美術系でアニメーション専攻。卒業後はぶらぶらしてしまったんです。」
地域おこし協力隊の任期の3年を終えたばかりの鈴木さんは切り出した。
「でも、20代後半に入った時に、もう『青年』ではないって思ったんです。このまま東京で満員電車に揺られて会社通いするのも、違うかなと思った。どこか自然に囲まれて生活できること、しかも、海よりも山で、と思っていて…。そんな時に、地域おこし協力隊を知って、この小諸の募集に目が留まりました。」
東京に住む者にとって、伝手と生活基盤がなければ、なかなか地方に移住するハードルは高い。そんな中で、地域おこし協力隊は、とてもありがたい制度なのだと言う。
「ここに来て3年が経ちました。今思い返すと、ここに来る前は、一生懸命に励むことがなかったな、という後悔があります。でも、今は人のためにお役に立てているし、3年間仕事に打ち込んだという自信がある。」
すかさず、「社長にもなったしね(笑)」と、残りの2人から茶化されている。
「そう、社長に就任したんです。若者でも社長になれるんです(笑)。会社を作ったので、これからはますますチャレンジしなければ。『やらない後悔』をしないようにしたいんです。」
鈴木さんは、この5月に会社を立ち上げ、株式会社カノシシの代表取締役となった。
はにかみながら応じる鈴木さんの表情は、未来を見据えていた。
山本翔太さん~「趣味の狩猟が、奥深いものになっていきました」
「僕の父は、大学で動物の研究をやっていました。その影響で、狩猟にも興味を持ったんです。」
背丈が高く、スラっとした横浜出身の青年、山本翔太さんが語り出した。
「僕は、スーパーマーケットの会社に勤めるかたわらで、神奈川県の狩猟チームに入って、丹沢の山でシカやイノシシを追っていましたね。」
山本さんにとって、狩猟は趣味といえるものだった。
「でも、狩猟をやっていくうちに、だんだんその意義について理解するようになってきたんです。そしてもっと理解を深めるために、狩猟にのめり込んでいきました。」
そんな時期に、山本さんは、この小諸の地域おこし協力隊の募集を知る。
「近くの長野県上田市に祖父母もいて、土地勘がありましたし、これだ!と思って応募しました。」
実際には、イメージ通りの仕事だったのだろうか。
「想像していた以上に忙しいですね。年々頭数が増えています。今は解体の方が中心になっていますね。緑が芽吹く出産シーズンの6月と、繁殖期(交尾期)の秋が最も忙しい時期です。」
この施設に持ち込まれる頭数も増えていて、時にはこの施設に寝泊まりし、解体することもあるそうだ。
「生き物の命に敬意をもって、肉・骨・皮の一切を無駄にすることなく役立てたいんです。
ここでは、これまで趣味としてやってきた狩猟だけでなく、スーパーマーケットで働いてきた経験、いろんな人と世間話をしてきたことも、その全てが生かせていると実感します。
ただ、仕事一辺倒になるのではなく、趣味と仕事のバランスを保つことが大事かなと僕は思っています。せっかくここに来たので、長野県を存分に楽しみたいです。」
スポーツマンのような山本さんの笑顔は、底抜けに明るく爽やかだった。
佐藤ひとみさん~「子供たちに、私の働く姿を見せていきたい」
「ここに来る前は、小諸市動物園の飼育係として、野生動物の保護をやっていました。」
そう、小諸市は小諸城址懐古園内に、動物園を持っているのだ。
佐藤さんは、ここで勤務している間に、狩猟で運ばれてきたシカが、ライオンに与えられているのを目にしていた。野生生物が専門である佐藤さんにとっては、それは食物連鎖に基づいた自然の摂理である。それにもかかわらず、一方では、有害獣として駆除されたシカが山に捨てられていることを知る。
「それを聞いた時、なんと無残で、『せっかくの命を…』と思ったんです。」
佐藤さんは、子育てのために、動物園の仕事を辞める。
その後、知り合いだった小諸市の野生鳥獣専門員から、「こんな仕事があるけれどやってみないか」と声が掛かった。
これが、今の会計年度任用職員になったきかっけである。
「関心があって、将来やろうとは思っていたのですが、まさか今、私が狩猟をやることになるなんて、と思っていました。でも、改めて調べてみたら、獣害はどんどん深刻になっていくし、このままでいくと生態系も乱れてくる。猟師もどんどん高齢化していて、90歳のおじいちゃんもいる。この先10年後も続いているのかなって思ったんです。」
「それに…」と、小柄で可愛らしい佐藤さんが続けた言葉に、男の僕は少々面食らってしまった。
「子供を2人持って、命の尊さが深く分かるようになりました。私は野生動物の生きる姿が好き。それぞれ自分の使命を生きているから。だからこそ、無残な死骸が持ち込まれると嫌な気分になります。命が尽きる最後の瞬間に、きちんと礼を尽くしたいんです。」
「シカを殺す時は、鉄パイプで脳震盪させるんです。かわいそうだからこそ、ひと思いにやります。母シカの内臓をとった時、子宮の中に生まれる前の子鹿がいた時があったんです。その子が世に出る前に命を終わらせてしまった…。その時は、私も妊娠や子育ての経験があったので、さすがに寝つきが悪かった。」
「この仕事は生態系を守るために必要な仕事。だけど、死骸をゴミのように捨てることはさせたくない。命の尊さを知っている私だからこそ、きちんと礼を尽くして命を奪い、奪った命を大切に役立てたい。」
「私は今、この仕事に打ち込めています。そして、この私が仕事に打ち込んでいる姿を自分の子供にも見せたいんです。」
母強し。
いつの間にか、僕の前には、力強い肝っ玉母さんがいた。
僕らは、日常では死を遠ざけて生きている。
だから、死を前にすると、途端に慌てふためいてしまう。
でも、この目の前にいる3人は、日常のできごとの延長線上に死を見つめ、それを摂理だと理解し、感傷的に死を捉えることなどしない。
だからこそ、なおさら、と言うべきか。
彼らの言葉の端々から、こう伝わってくる。
死は、「穢れ」なのではない。
それは、尊厳を持って接すべきフィナーレであると。
陰があるからこそ光が冴える。
僕がこの小諸で見たのは、旧き面影ばかりではなく、そこに新たな生命を注ぎ、未来に繋いでいこうとする、若者たちの姿だった。